ソバにはイネ科の穀物にはない独自の豊かな風味があり、そば粉からそばを打ち、切ることによって心地の良い食感と”のどごし”を生みます。古くからそばは「挽きたて・打ちたて・茹でたて」の3たてがうまい条件とされ、少しでも時間が経つと、香りも味もどんどんと逃げていきます。だからこそ、本場で食べるそばは特段美味しいとされてきました。ここでは少しおそばの歴史をご紹介します。そばが日本人に愛されるようになった理由は、さまざまな歴史背景に基づいているようです。
歴史上ソバの栽培が始まったのは、今から4000年前の中国だと言われています。そして日本におけるそばについての記録は、戦国時代の1574年に長野県木曽谷の臨済宗定勝寺の工事に際し寄進した記録に「振舞ソハキリ」という言葉が残されており、これが最古の記録とされているそうです。(「そば学」井上直人著より)
日本では、江戸時代に信州から江戸にそばが運ばれ、「霧下蕎麦」として知られたと言うのは有名なはなし。長野県でも霧がかかるような場所がソバの名産地として知られ、特に県北部の山間地は寒さゆえに米作りには適しませんが、ソバやムギはよく穫れ、品質も良いとされています。
ソバの収穫は、古くは日本の二十四節気のうち”霜が降りる頃”である「降霜(10月23日)」の頃とされ、気温が下がり、晴天が続いて空気が乾燥した頃になると、自然にソバが乾燥し、収穫しても種子が傷まず、気温が低いことで種子に熱がかからないので、香り成分の揮発が少ない良い状態でそばが収穫できるのだと言われてきました。現在では、さまざまな品種や栽培方法もあり、収穫できる時期も長くなり、そしてさまざまな貯蔵技術で美味しいそばが一年中いただけるようになりました。でも、新蕎麦のフレッシュな香りと薄い緑色をしたそばは一年に一度の楽しみだと言う人も決してすくなくありません。
信州に暮らす私たちが霧下蕎麦と聞いてすぐに思いつくのは、やはり信州戸隠です。山裾の標高500〜700mの高原地帯で、昼夜の気温差が大きく朝霧が発生しやすい地域を「霧下地帯」と言い、長野県の北部では戸隠・黒姫が代表的です。冷涼な気候がそばをうまくし、朝霧が霜に弱いそばをやさしく守ると言われています。
戸隠そばと聞いて連想するのが「ぼっち盛り」です。ぼっち盛りは主に戸隠地区のそば店で提供されており、一口程度の量を束ねて5束(一人前)をひとつのざるに並べます。この盛り方には諸説いわれがありますが、戸隠神社が五社あることに由来し、 ざるの上で5つの神社・神様を表現しているとも言われています。
当社では、新蕎麦商品はその年の新そば粉が入荷になってから作り始めることにしています。今では、8月頃から北海道産の新そば粉が流通し始めますが、信州産となると早くても10月から。そして「新そば」と謳うことができるのは長くても12月までの期間です。
短い期間だけ楽しめる新そばは、やはり香り高く、歯応えや喉越しも小気味の良いものです。古くから人々の楽しみとされた新そば。信州では秋になると今でも「新そばまつり」が各地で開催され、その年の収穫を皆で祝い楽しみます。