当社はおかげさまをもちまして、家業三代、70年を数えるに至りました。遠祖は松代真田十万石の下級武士と聞き及びます。 江戸幕府が終焉を迎え、明治維新にともない、つてを頼って善光寺門前の長野横沢町に移ったそうです。
終戦後、日本中が豊かではないときに、初代がソバやウドンの美味しいものを作れば、おかず代がかからないので皆様に喜んでもらえるだろうと考え、製麺業をはじめました。
この味が評判となり、昭和25年に専業化して近隣施設の食堂に納めるようになりました。昭和42年に、水の良い長野市郊外の富竹に工場を設け、信州戸隠そば株式会社を設立いたしました。
千人が一回きり食べるソバより、一人が千回も食べるソバを作ろうと、毎日そばを作り続け、いつの間にか、日本中に御贔屓筋がいつのまにか万といてくださるようになりました。
毎日食べても美味しいと皆で感じるものだけを製品化して参りました。これからも驕ることなく、一人ひとりが努力を重ね、常に美味しいそばづくりを目指してまいります。
昭和25年 | 初代・小出安太郎が長野市横沢町にて乾麺製造業を興す(後の有限会社小出製麺)。 |
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昭和42年 |
徳永製麺と合併し、信州戸隠そば株式会社を設立。 長野市富竹に乾麺製造工場を建設し、本社を置く。 |
昭和43年 | 当時珍しかった乾麺のギフトセットを関東の有名百貨店にて発売。 |
昭和50年後半 |
大手航空会社の国際線機内食として採用される。 海外でも高い評価を受ける契機ともなり、以降、東南アジアをはじめとする各国への輸出が広がっていく。 |
昭和60年 | 2代目・小出一雄が代表取締役社長に就任。 |
平成2年 |
長らく技術的に困難とされてきた十割そばの乾麺製造、製品化に成功する。 識者から、「夢のそば」とまで評された本十割そばは、現在に至る当社の主力製品である。 |
平成5年 | 長野市下駒沢に当時最先端の製麺設備を備えた第二工場を建設する。 |
平成14年 | 長野市穂保に倉庫兼配送センターを取得。 |
平成26年 | 3代目・小出真也が代表取締役社長に就任。 |
平成27年 |
第37回食品産業優良企業等表彰において、農林水産省食料産業局長賞を受賞。 食塩を一切使用せず、そば粉のみを原料とする十割そばの乾麺製造、製品化の成功が、栄養・健康に配慮した食品の開発・普及に貢献した企業として高い評価を受けた。 |
令和元年 | 台風19号による水害に遭い、穂保倉庫が水没。 |
令和3年 | 本社隣接地に、被災した倉庫に替わる新倉庫が完成予定。 |
農林水産省より優良企業として表彰
第37回(平成27年)食品産業優良企業等表彰(農林水産省の後援のもとに食品産業センターと(公財)食品等流通合理化促進機構が共催により実施)の食品産業部門において、農林水産省食料産業局長賞を受賞。食塩を一切使用せず、そば粉のみを原料とする十割そばの乾麺製造、製品化の成功が、栄養・健康に配慮した食品の開発・普及に貢献した企業として高い評価を受けた。同年、共に表彰を受けた会社には、江崎グリコや伊藤園等が含まれる。
食糧庁長官から感謝状の授与
平成10年2代目・小出一雄代表取締役社長が、食糧庁長官より、感謝状を受ける。表彰理由は、「めん類業界の指導的地位にあって、業界の育成向上に努め斯業の発展に寄与するところ大なるものあり」。
農林水産大臣賞 3回受賞
第49回(平成18年)、第54回(平成23年)、第57回(平成26年)
食糧庁長官賞・農林水産省総合食料局長賞 13回受賞
第41回(平成10年)、第42回(平成11年)、第43回(平成12年)、第45回(平成14年)、第46回(平成15年)、第50回(平成19年)、第52回(平成21年)、第53回(平成22年)、第55回(平成24年)、第58回(平成27年)、第60回(平成29年)、第61回(平成30年)、第62回(令和元年)※平成15年食料庁の廃止により賞名変更
長野県知事賞 多数回受賞